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レポート

国際シンポジウム「古典の再生」の参加者のご感想・ご質問をご紹介しています。ご入力者の個人情報に関する記述は省略しています。

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ォームへ寄せられた感想​ 送信順

●とても勉強になりました。ありがとうございます。
●大変貴重なお話をありがとうございました。特に、ジェルリーニ先生の、「過去の何かを取り戻しながら前へ
一歩進む」ことが古典の再生ということであるというようなお話に感銘を受けました。
●丁寧なご報告とディスカッサント交えた討論を聴かせていただきありがとうございました
●とても興味深い発表でし
た。京都に行けれるのが理想的ですが、ズームでオーストラリアからも参加できてとてもよかったです。
●単に継承しなぞるだけでなく、現代で通用するようにアレンジするという再生の定義について目から鱗が落ちました。
●大変いい勉強になりました。これまでに蓄積された成果の上に、東アジア文化圏の文化資源を世界で共有しながら研究がさらに進むのだろうと思いました。
●文学は門外漢の歴史学者ですが参加しました。古典は何かという基調講演は、歴史学者として頷けるところが多かったです。また源氏物語が、当該言語の特徴から来る翻訳のあり方によって、悪い話(光源氏がドンファンなどというのもありましたね)となるというのは、翻訳にも携わるものとして、注目する話でした。
●専攻でない学部生でも本日のご講演でTEIについて理解が深まり、かつその画期的な成果が実感できた。また一大学生として、2025年度に入学してくる学生が文学研究における情報処理に触れ、成果をあげてほしいと強く思った。
●荒木浩先生のおまとめ、質問が要点をついていてわかりやすく、ありがたかったです!また、教養のデータサイエンスや国立の工学部を含む文理融合を目指す専門教育では、翻訳や人文系のデータの取り扱い方についての質問を多く受けるので、大変勉強になりました。ありがとうございました。
●大変興味深いご講演をありがとうございました。「古典は再生をもって後世に伝わる」という発想、まさにその通りだと思いました。
●各発表、大変興味深く拝聴いたしました。Zoom対応良かったです。
●たいへん勉強になり、刺激を受けました。ジェルディーニ先生は「古典の再生」の具体例に「古典を教える」ことも含んでいらっしゃいました。私は中高で13年教壇に立った者として、高校教育における古典の教育機会の縮小を漠然と不安に感じていましたが、自分の不安が「古典が再生される機会の激減」に起因していたと明確になりました。盛田先生の御紹介になられた、牛車に鈴虫を入れて『源氏』桐壺巻の命婦による更衣邸訪問を表現するという例も、「再生」の例として極めて実感しやすく、「拝聴できて得をした」と感じました。TEIについても、和歌の訳において表の意味のほかに、縁語であったり、二重の文脈があったりすることを同時に可視化でき得るという点でも、表現の可能性に広がりのあるものだと感じ、学べて有難かったです。
●日本の古典が世界と結びついていることを実感しました。
●大変貴重なお話をうかがえて満足しております。明日も楽しみにしております。
●充実した内容で良かったです。皆様、お疲れさまでした。
●大変面白く拝聴いたしました。〈古典〉の定義そのものが難しいような感想を持ちました。いろいろ考える必要がありそうです。
●大変面白く拝聴しました。
●刺激的な内容でよかった。メディアについて考え直したい。文字=絵という視点が大事です。
●大変興味深いお話をありがとうございました。特に阿仏尼の文のご発表と、樋口一葉のご発表について、大変興味が沸き、非常に勉強になりました。
●さまざまな問題点の発掘、それに対するさまざまな分析方法を一挙に展望できて面白い内容でした。ただ、これだけの方々に参集して頂くとなると、それぞれの内容の密度に拘わらず、やはり問題意識の拡散は否めず、他のシンポジウム同様やや散漫な印象がありました。特に「再生」がとって附けたような内容の発表もありました。
●大変勉強になりました。
●大変興味深く、勉強になりました。ありがとうございました。
●さまざまな観点からの発表によって、自分の研究と切り結ぶ可能性のある問題点を発見することができました。近世と近代との距離についても、深く考えさせられることがありました。どうもありがとうございます。
●勉強になりました。
●知的刺激に富む充実したご発表の数々とご議論、ありがとうございました。
●古典の再生をテーマに色々な視点でお話を伺え大変すばらしいシンポジウムでした
ありがとうございました。
●大変勉強になりました。特に第2セッションでは、振れ幅の大きなご発表と、大きな問題につながる議論とを伺い、刺激をうけました。ありがとうございます。
●たいへん充実した内容で勉強になりました。時間の関係で仕方ないとは思いますが、討論をもっとゆっくり伺いたかったです。
●事情があり、所々オンラインで参加させていただいたのですが、大変勉強になりました。資料集で復習したいと思います。ご学恩に感謝します。
●たいへん興味深いご発表、議論でした。聞き逃しておりましたら恐縮ですが、これは後に何らかの形で活字化されるのでしょうか。期待しています。
●2日間にわたる充実した講演、ありがとうございました。「古典」の現在地に目を開かされた思いです。お疲れ様でした。
●興味深く拝聴いたしました。
●さまざまな時代・作品を取り上げていただいて、大変興味深かったです。
●非常に大きな問題系に対してさまざまな角度からのアプローチ、たいへん勉強になりました。企画、運営、どうもありがとうございました。「古典」とは何か(どの範囲か)、「再生」の態度のさまざま(継承しようとする再生~二次利用)について多くのことを考えさせられました。合山さんの最後の質問については、まさに社会的なものとの関係のなかに「古典の再生」はあるだけに、合山さんが言われたような状況もあるなかで我々自身が古典を通じて社会に何を提供できるのかを考えながら研究することかなと思った次第です。
●素晴らしい内容ある国際シンポジウムに参加させて頂き感謝申し上げます。私の専門は、書道、中でも日本篆刻家の研究です。研究そのものは、分野を異にしますが、今後の研究に向けて、多くの示唆を受けました。有難うございました。
●近年稀に見る興味深い内容でした(参加メンバーも形式も含む)。今後も期待しています。ハイブリッド開催という方式にも、たいへん感謝しています。ありがとうございました。
●「明治の言文一致運動により、古典の読み解きが一般的ではなくなった。という説がありましたが、江戸時代にも挿絵を多くすることで購読層を広める動きがありました。そう考えれば「原文のままで読む」ということにこだわる必要はないのではと感じました。初日の基調講演にあったように「古典とは何等かの現代意義を有している」のであり、時を越えてなお我々に訴えかけるものを持っているものが「古典」なのだと。原文や古跡が保存されるのと並んで、TEIで容易に原典に触れられること、舞台化、TVドラマ化、アニメやゲームになることで若い人にもたしなまれることこそが本義だと感じます。ワーグナーの楽劇「ニーベルンゲンの指輪」の上演に際しては大胆な演出や衣装での公演もあり、評価を得ています。文字の古典もまた同じようにな変遷を経ても良いのではないかと思った次第です。この大会に参加できたことを感謝します。ありがとうございました。
●セッション1・3を拝聴しました。貴重な学びの機会を設けていただき、ありがとうございました。私は義務教育の現場で活用できる古典の地域教材を開発することを目標にしている中学校教員です。このような非常に専門性の高い国際シンポジウムに、ZOOMといえども参加することに不安がありましたが、興味深い事例に、明快な構成と説明を付していただいたことで、たいへん大きな学びを得ることができました。中学校の古典教育は「古典に表れたものの見方・考え方」をもとに生徒に自分の「考えを形成」させることを核としています。飯倉先生が発表されていた秋成の「長物がたり」の営為にたいへん刺激を受けました。(中略)さっそくにでも『金砂』六を学び、次年度の和歌の授業では子どもたち自身に古典を「再生」させることを目指したいと思います。
●2日間を合わせて、これだけの規模のシンポを開催されるには、相当の準備期間がご必要だったと思います。主催された皆様、裏方の皆様のご努力に敬意を評します。その上で、大きなテーマに即したシンポにつきものの、議論と時間のせめぎ合いという問題を、今回もクリアしきれていないように思いました。(中略)全体の感想ですが、そろそろ、「古典」と「近代」を明治で切らず江戸時代を含めて、正面から論じて良い段階に入ってきているのかもしれませんね。
(中略)刺激をたまわりましたこと、心より御礼申し上げます。
●セッションを面白く拝聴しました。ありがとうございました。

チャットへ寄せられた質問・感想 発表者順

●盛田氏発表への質問
光格天皇の小御所において展開された和歌と管弦の尾催しでは、後水尾院がかなりの頻度で行っていた和歌・連歌・和漢連句の催しとはかなり様相を異にしています。この違いが光格天皇の革新性=古典の再興ということになりましょうか。
●盛田氏発表への感想
豊岡治資の父和資が光格天皇と親しかったこと、まったく知りませんでした。たいへん勉強になりました。ありがとうございました。
●ズウィッカー氏発表への感想
時期的には逆転していますが、幽霊については小野田寛郎の存在を有に考慮したほうが良いと思います。
●楊氏発表への感想
楊先生へ。優しく丁寧な口調で、徒然草の絵注釈の面白さを、とても分かりやすくご説明いただきました。徒然草の絵注釈とは、他の物語などの絵注釈ともまた違って、雅俗さまざまな場面が描かれるので、江戸時代においては、古典文学の図説教科書のような役割を果たしたのではないかと思います。徒然草の朗読についても、一般への徒然草普及において、重要な試みであったと存じます。志半ばでお亡くなりになられたことは、とても残念です。ご冥福をお祈りいたし
す。
●佐藤氏発表への質問
「ないものを復元する」は,今のディジタル芸術で問題になることと覆います.VR をつかった映像芸術を,後世,どう復元するかです.
●アロカイ氏発表への質問
まず、発表内で選ばれた紀行文は女性が書いたものでしたが、何故女性のものを選ばれたのでしょうか?素朴な疑問なのですが、近世の紀行文は、例えば公家や大名や商人など、色んな背景を持った人々が書いていると思います。また、中世までの紀行文は、多くが男性の書いたものなのではないかとも、知らないなりに感じております。たくさんある紀行文の中で、あえて女性の紀行文を選んだことにも意味があるのではと思ったので、理由をお聞きしてみたいです。
2つ目ですが、紀行文の書き方についてです。歌枕の光景や物語のイメージを重ねて書くということは、中世でも行われていたのではと思うのですが、近世に入ってからのイメージの重ね方は中世とは変化している、という理解で大丈夫でしょうか?板坂耀子氏は、「従来の紀行文学の形式を踏襲し、時に和歌等を挿入する、正統なもの」「第二に、名所図会や案内記、道中記といった、文学作品の枠を必ずしも守らず、多様な形式の中で知識の伝達や実用を目的としたもの」「第三に公式旅行の際などに藩士が記したかに見える記録、雑記類」というふうに分類されていたかと思いますが、この分類に当てはめると一番目の分類に入るものをあげていただいたかと思いますが、先生が考える近世と中世の紀行文の違いを教えていただけたら嬉しいです。

●飯倉氏発表への質問
『春雨物語』は、「自分(の説)語り」という視点からすれば、随筆、特に考証随筆とも近い部分があるように思います。秋成において、それを「物語」という形にしたことに、どのような意図があったとお考えでしょうか。

 

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